2019/07/01 ボランティア

今、東北を考える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2011年3月11日に発生した巨大地震により、多くの人命・財産などが奪われてからしばらく経ちます。ついこの前のように感じますが発生から10年の節目が近くなっています。今回は、東日本大震災の復興の現状を紹介します。

 

※被災地の写真が複数掲載されていますので、閲覧は読者賢明の判断でよろしくお願いします。

 

 

 

最近、東日本大震災関連の情報が少ないと思いませんか

  震災で被害を受けた都市と言われて、読者はいくつの地名を思いだすことができますか。石巻・女川・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・宮古などなど 当時マスメディアによる報道でミミタコなぐらい聞いたものです。しかし今震災発生から8年。まもなく10年の節目を迎えようとしていますが、これらの地名を聞くことは少なくなってしまいました。一般的な感覚では、「津波ですべてがなくなり、だれも住まなくなってしまった過去の街」という人もいれば、「もう震災は終わった話では?」と考えている方もおられます。日常生活の中で、被災地の今を知る事はとても難しくなっているのではないかと案じてしまいます。

 

被災地の復興への情報があまり知られないのは何故なのでしょうか。東京のテレビ局や全国版新聞が報道しない理由はあるのでしょうか。これの理由としては

「もともと何もなかった」

というのが最大の理由であると考えるのが自然でしょう。例えば阪神淡路大震災の被災地として有名なのが神戸です。阪神高速が倒れたり、阪神電車の線路がグニャグニャと曲がってしまったり、長田区で大規模火災が起きたりした映像はすべて神戸市で撮影されたものです。関東圏の読者には東京に次ぐ都市は存在せず一極集中なので理解しにくいかもしれませんが、関西圏の都市は大阪だけでなく、大阪の周りにある都市もそれなりの都市規模を誇り、都市機能が分散していると言えます。そのため関西圏外の方が想像するよりも神戸の街は都市機能や市場規模のある都市のひとつです。そのため、多数の施設などが存在し、そのほとんどが被害を受け、そのひとつひとつが営業を再開する度にニュースになりました。しかし東北はどうでしょうか。東北の仙台以外の都市は自他ともに認める「田舎」であると言われます。人口や市場規模は神戸より小さく、もともとの施設数も少ないのです。そのためマスコミも“伝えるものがない”というのが現実のようです。

 

 

 

復興へ向かう施設、交通

 近頃における震災の捉え方は、「過去のもの」とされているのが正確でしょう。現在進行形でボランティアが日本全国から集まり支援活動を活発に行っているかと言われれば、それは虚偽であると言わざるを得ません。確かにボランティア団体は活動しているものの、注目を浴びるものとは言えずコミュニティに溶け込んでいます。また企業の社会貢献活動としてのボランティアも継続されているものが多いですが、これも短日で終了してしまいます。

 

 

 

 「南三陸さんさん商店街」という言葉を覚えている方も多いかと思います。宮城県南三陸町における復興のシンボルとして誕生した、28の専門店が集まる施設です。JR気仙沼線の線路跡を専用道路としたBRTシステムの駅が徒歩すぐのところにあり、車が無くてもアクセスしやすい場所にあり、土日では「小さな旅ホリデーパス」というJR1日券の範囲内駅とされているため、交通費もかなり抑えていくことも可能です。

(南三陸さんさん商店街の休憩所)

 

 

 

BRTは、Bus Rapid Transitの略で、日本語では「バス高速輸送システム」と訳されます。その名の通りバスによる輸送システムです。通常のバスと違うのは専用の道路を走行することです。震災により不通になった線路の用地にアスファルトを整備しバスを通らせます。こうすることで輸送コストや復興費用などを抑えながらも、利便性を考えて街中に駅(バス停)を設置することが出来るなど柔軟性にも富みます。

日本では少ないですが、海外ではよくみられる事例で通常の都市発展の手段として利用されています。

 

東日本大震災により、JR気仙沼線およびJR大船渡線がBRTにより復活しました。写真はBRTと鉄道の乗換駅である柳津駅の駅名標です。BRTとして開通したため、鉄道はこの駅が終点となり、次の駅はガムテープで駅名が隠されています。

 

 

 

 

「津波ですべて流された」果たして事実でしょうか?

 東日本大震災における最大の特徴は大きな津波が来たことです。堤防を越えて大量の海水が街中に押し寄せる映像や画像は大変なショックを日本国民のみならず世界中に与えました。津波は街を飲み込み、更地へと変貌させた... この情報だけでは不十分です。もちろんそのようになった街もあります。しかし津波の被害を受けながらも多くの建物が残った街があります。それが石巻市です。

 宮城県石巻市といえば、宮城県第二位の規模がある街であったこともあり、多くの死者行方不明者(震災死者の約20%)を出しました。そのような都会であれば復興も早々と進み、震災以前の生活をしているのかと思いました。たしかに街中の人たちは通常の生活を取り戻しているといってよいでしょう。そして「いしのまき元気いちば」という魚介類の販売や飲食が可能な施設も完成しています。

 

石巻市は地形上大きな波が来ることはありませんでしたが、川を逆流した大量の水によって街が水につかりました。高いところでは2~3mもの高さの水が街を覆いましたがそのスピードは比較的穏やかであったため、建物は倒壊を免れました。しかし逆に言えば、長時間海水に建物が浸かったということです。結果として腐食などによる後の取り壊しが相次ぎました。石巻市民としては、津波で一息に流れてくれた方が気持ちが楽であると話します。

 

(石巻げんき市場)

 

 

 

復興は終わったものなのでしょうか

 さんさん商店街自体はとても繁盛しており、それは素晴らしいことです。しかし商店街の周りはどうでしょうか。仮設住宅は撤去され高台に住宅街が完成していますし、道も整備された美しい風景が広がっていると思いましたが、現実は右写真の通りです。これで復興が終了したとは到底言えないのは自明です。南三陸町に限ったことではありません。石巻もその他の都市も同様のことが言えます。

 

 被災地の各市区町村では、現在市内の再開発を進めています。土を盛って新たに高台を形成し住宅街を形成、そして土地の低いところには大規模な公園やスポーツ施設などを作る、というのが大まかな計画であり、どこの自治体であってもほぼ同じような計画を発表・実行しています。これには多額の資金が必要で、国による復興のための予算が組まれていますが不十分です。もしそれで環境が整ったとしても、現状であれば人口減少が続く東北地方にとって、先の世界はゴーストタウンです。

(南三陸さんさん商店街近くの見晴台からの景色)

 

 

 

 

地震はイベントだ。語弊は生じていません。

 我々が今、被災地のために何ができるのか。それは被災地の活性化に貢献することです。言い換えると「行って金落とす」ということです。さんさん商店街や元気いちばをはじめ、ほとんどの新設された施設はすべて観光客に対応しており観光客が気楽に買い物をすることのできる環境が整っています。我々は「復興のために」ではなく、「被災地の人のために」現地に出向く事が一番貢献できることです。

 「被災地」という言葉は、観光をしに行く気力を削ぐ言葉です。行ったら危ないのではないか。行っても楽しくないのではないか。行っても邪魔なだけではないか。様々なことを考えてしまいます。今必要なのは街の活気であり、街にお金を落とすことです。まだ土地の形成が完成していないところの工事費は各自自体の税金などから捻出されます。観光客が少なければ、街の活気もありませんし、街の人々のお金も苦しくなります。結果として需要や資金繰りの問題が生じ、復興計画が遅れてしまいます。

 地震の発生は、ボランティア精神が働きますが、ボランティア以外の行動を敬遠してしまいます。その認識を改め、地震の発生は「イベント」なのだという認識に改め、地震が起きたところに出向こうとすると、復興は早まるのです。

 

 

 

 


南三陸さんさん商店街:宮城県本吉郡南三陸町志津川字五日町201-5 (https://www.sansan-minamisanriku.com/

石巻市まちづくり情報交流館 中央館:宮城県石巻市中央二丁目8-11 (https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/9200/20150302212702.html

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