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人との出会い。そこにあるもの…。 運命と挫折【前編】

 

びわこ成蹊スポーツ大学 山手隆文准教授執筆コラム


 私は現在、小学校29年間の教師生活を経て、大学で教員をしています。子どもの頃には想像もしていない道を歩んできました。私の周りには、姉が小学校教員をしていますが、教職の道に進んでいる人はほとんどいません。あとで聞いた話ですが、すでに亡くなった父親は教員になりたかったそうです。でも、教員になることができず、その教員に姉と私がなったことで、大変喜んでいたそうです。今となっては遅いですが、父親と教員の話をもっとしておけばよかったと・・・。


子どもの頃の夢

 私は野球少年で、中学、高校、大学と10年間、学校の部活動で野球を続けました。小学校の頃は、学校の休み時間は運動場で、家に帰ってからは近くの広場で、野球ばかりの毎日でした。また、甲子園にも父親に野球観戦へよく連れて行ってもらいました。高校の時はもちろん甲子園をめざしていましたが、あまり強い高校ではなく、創部間もない野球部でした。私のひと学年下に、PL学園の「桑田・清原」がいましたので、「甲子園は夢のまた夢」でしたね。

 

 

 ここまでくると、「プロ野球選手になりたかった!」と言いたいところですが、私の子どもの頃の夢は、「新幹線の運転手」でした。小学校6年生の卒業文集にも書いた記憶があります。どこに興味があったかというと、「新幹線に乗って、いろいろなところに行きたい!」という単純な夢でした。その夢を語っていた頃に、今は亡き母親に、「人の命を預かる仕事はやめなさい!」と言われてことを覚えています。その当時はなぜそんな言い方をするのかよく分からなかったのですが、今現在、自分の子どもを見ていて、子どもの将来のことを考えると、何となく分かったような気がします。


人との運命的出会い①

 高校に進学し、私の現在に関わる一つ目の運命的な出会いがありました。それは、高校のときの保健体育教師のK先生で、私の高校3年間の担任の先生です。高校3年間で、K先生に叱られたこともありましたし、相談にものってもらったこともありました。私はいつもK先生といっしょに過ごし、いつも背中を追い続けていたんだと思います。K先生から「教員になったらどうや!」と言われたことはありませんが、いつのまにか私は「高校の体育の先生になろう!」と思うようになっていました。なぜ、そう思ったのかは、正直なところ分かりません。しかし、K先生と出会わなかったら、教員の道に進んでいなかったとはっきりと言えます。それだけ私に影響を与えた恩師のK先生であることは間違いありません。高校のときにK先生に出会うことがなければ、どのような道に進んでいたかは想像することもできないくらいです。


挫折①

 高校野球の生活も府大会2回戦で敗退し、いよいよ高校体育教師に向けての大学進学をめざしました。しかし、大学進学に向けて勉強をがんばったつもりですが、大学合格を決めることはできませんでした。そこから一年間の浪人生活がスタートするわけです。一年間回り道をするわけですが、何とか一年後に高校体育教師になるための大学に無事に合格することができ、大学生活がスタートしました。

 

 大学生活では、野球の練習に明け暮れ、家庭教師のアルバイトも経験することができました。しかし、その頃から教員採用試験という現実を受けとめざるを得ない状況がだんだんと分かってきました。「教員になるためには教員採用試験に合格しなければいけない。しかし、高校体育教師の採用人数が少ない。」ということでした。その当時は、高校体育教師になることができると安易に考えていました。

 

 

 私は、小学校と中学校・高校の保健体育の教員免許状を取得するために、教育実習に行くことになりました。小学校へは大学3年の9月、高校へは大学4年の6月に、いずれも母校へ行くことになりました。正直な話ですが、小学校の教員になる気持ちがなかった私ですので、あまり小学校の教育実習に行きたいとは思っていませんでした。教員免許を取得するためだけに行くといった感じです。そこで、私の教員生活に影響を与える運命的な出会いがありました。


人との運命的出会い②

 小学校の教育実習では高学年を希望していましたが、担当は2年生でした。それほど人数の多い小学校ではなく、担当のクラスも約20数名でした。そのときにご指導いただいたM先生が二つめの運命的な出会いです。担任のM先生は、教師のことを何も知らない私を夜遅くまで、授業の準備からあらゆることを細かく丁寧にご指導をしていただきました。当然、小学校の現場で何もしたことがない私ですので、「小学校の先生って、こんなことまでしてるの?」と感じたことを覚えています。小学校の実習が進むにつれて、「小学校の先生も悪くはないなあ。」と感じるようになり、「もしかしたら自分は小学校の方がむいているかも?」と感じるようになりました。


人との運命的出会い③

 それからもう一つ忘れてはいけない運命的な出会いは、2年生の子どもたちです。この子どもたちに私は何度も助けてもらいました。授業をしているとき、休み時間に遊びに行くときなど、私のために全力でがんばってくれたわけです。この出会いがなければ、小学校の教員になっていなかったと言っても過言ではありません。それほど私の教員生活をスタートさせることに影響を与えた5週間の教育実習でした。

 

 

 高校教員をめざしていた私にとっては、大学4年6月の教育実習が重要となるはずでした。しかし、小学校の教育実習で、少し小学校教員に傾きかけた私にとっては、高校の教育実習の日々の授業の準備の忙しさ、野球部の部活動指導の難しさの現実を知り、「やはり小学校教員をめざそう!」と心に決めました。また、高校教員になるためには、採用の人数が厳しいという現実もありました。高校の教育実習ではK先生にもお世話になりましたが、小学校実習での人との出会いが、私の小学校教員生活へ向けての影響を与えることになったことを報告し、小学校教員をめざすことにしました。