減り続ける東日本大震災の記憶

 2011年3月11日に発生した巨大地震により、多くの人命・財産などが奪われてからしばらく経ちます。ついこの前のように感じますが発生から10年の節目が近くなっています。今回は、東日本大震災の復興の現状を紹介します。

 

※被災地の写真が複数掲載されていますので、閲覧は読者賢明の判断をお願いします。

  震災で被害を受けた都市と言われて、いくつの地名を思いだすことができますか?

 

 石巻・女川・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・宮古などなど 

 当時マスメディアによる報道でミミタコなぐらい聞いたものです。

 

 しかし今震災発生から8年。まもなく10年の節目を迎えようとしていますが、これらの地名を聞くことは少なくなってしまいました。

 一般的な感覚では、「津波ですべてがなくなり、だれも住まなくなってしまった過去の街」という人もいれば、「もう震災は終わった話では?」と考えている方もおられます。

 日常生活の中で、被災地の今を知る事はとても難しくなっているのではないかと案じてしまいます。

 

 

 

被災地の復興への情報があまり知られないのは何故なのでしょうか。

東京のテレビ局や全国版新聞が報道しない理由はあるのでしょうか。これの理由としては

「もともと何もなかった」

というのが最大の理由であると考えるのが自然でしょう。

 

 例えば阪神淡路大震災の被災地として有名なのが神戸です。阪神高速が倒れたり、阪神電車の線路がグニャグニャと曲がってしまったり、長田区で大規模火災が起きたりした映像はすべて神戸市で撮影されたものです。

 

 関東圏の読者には東京に次ぐ都市は存在せず一極集中なので理解しにくいかもしれませんが、関西圏の都市は大阪だけでなく、大阪の周りにある都市もそれなりの都市規模を誇り、都市機能が分散していると言えます。そのため関西圏外の方が想像するよりも神戸の街は都市機能や市場規模のある都市のひとつです。

 

 そのため、多数の施設などが存在し、そのほとんどが被害を受け、そのひとつひとつが営業を再開する度にニュースになりました。

 しかし東北はどうでしょうか。東北の仙台以外の都市は自他ともに認める「田舎」であると言われます。人口や市場規模は神戸より小さく、もともとの施設数も少ないのです。

 

 そのためマスコミも“伝えるものがない”というのが現実のようです。

 

 

 


画像提供および記事作成監修:南三陸さんさん商店街、南三陸町観光協会

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