NPO法人炊き出し志絆会 副理事 西川多恵子
イギリス式ボランティア活動
活動開始は25年前。今回取材した西川さんのお父様が経営されていた会社が主催するパーティで、とあるイギリス人女性と知り合います。
その女性は1995年に発生した阪神淡路大震災の復興のボランティアを行っていましたが、それがひと段落したことで、あいりん地区の貧困労働者への支援に興味を持ちます。
そこで西川さんのお父様に、母国イギリスでよく行われていたお弁当の配布活動を行う事を提案、協力を持ち掛けることで、あいりん地区のボランティア活動に足を踏み入れる事になったのです。
当初はお弁当配りを行い、それに付随してあいりん地区の清掃活動も行っていました。ただ「言い出しっぺ」であるイギリス人女性は活動開始から1年足らずで帰国。
残った日本人の発起人たちはカレーライスの炊き出しを開始します。
こうして“カレーの炊き出しの志絆会“の活動が始まったのです。
開始当時は1300食分を振舞い、あいりん労働センター付近で行っていた活動は、炊き出しを求める列が巨大な建物の周りを囲むほどに人気を集めました。
西川さんは若い頃から、お父様の手伝いを行っており、家庭で何十玉ものたまねぎを炒めたり、合計20升ものお米を炊いたりするなどしていたと言います。
現地ではもちよった合計90升のご飯と数十キロのカレールーを使用したカレーライスを毎月ふるまう活動を現在まで行っています。
少しで起こる暴動…
現在でこそ少なくなりましたが、活動開始当初は少しの混乱でトラブルに発展してしまうほど血気盛んな方が多かったのだといいます。
同様の炊き出し活動はほかの団体も行っていますが、たまたま同じ日に炊き出し日が重なってしまうと、実施場所を変更せざるを得ません。
志絆会の炊き出し目当てに前日等から並んでいた方への誘導が不十分となれば、細かな順番の優劣でトラブルに発展してしまいかねないのです。
実際にこのことは発生しており、西成暴動と呼ばれる事態に発展したケースもあるそうです。
当時はあいりん地区以外にも多くの路上生活者がいた時代なので、天王寺公園や長居公園などにも活動の幅を広げていました。
また、貧困に悩む方を助ける立場ではありながら、あいりん地区の方は「労働者」としてのプライドがあるために、同等の立場であることを意識しながら声掛けなどを行う事が大切でした。
すべての活動はあいりん地区の方の為ですが、結果として自分に回ってくるということを念頭に置いていたと言います。
コロナ禍と炊き出し
現在、新型コロナウイルスの流行によって利用していた調理場がPCR検査を行う施設として利用されていたり、あいりん労働センターが閉鎖されたりするなど、活動の幅に制限がかかってしまいました。
調理場が使用できない以上、カレーライスをつくる事ができません。作れないし渡せない。志絆会創立以来のピンチを迎えています。
現在は、釜ヶ崎支援機構が運営する「あいりんシェルター」でおにぎりを配る活動などを行い、新規のボランティア募集を停止して密を防ぎながら活動の存続に専念している状態です。
そのあいりんシェルターも登録制となってしまったので、自由に出入りをする事が出来ないために労働者の方とのふれあいの機会さえ減ってしまっているのです。
6年前からNPO法人化し、インターネット上にサイトを作って以降は20~30人程度の単発ボランティアと共に活動していました。その中にはそれぞれの熱い意志を持った高校生や70代の高齢者、また学校団体や企業などもいたのですが、その方々の熱い志も受け止められないのが現状なのです。
志絆会の炊き出しは、月に1回であったこともあり創意工夫を行いながら品質の高いカレーを提供していたので、他の炊き出し団体に比べても人気が高かったのだと言います。
あいりん労働センターの閉鎖によって、炊き出しがなくなってしまうのか?等といった問い合わせも多いのだと言います。
コロナ禍に入る前、最後のカレーの炊き出しは合計450食を提供していたので、活動全盛期に比べての提供数は減少傾向にあります。
あいりん地区では人口減少および高齢化が進んでおり、活動当初の時期に比べてもトラブルは少なくなりました。
20年以上活動を続けていたことにより、労働者との信頼関係も強固な事になりました。ただ発起人の方々はほとんどリタイアされており、世代交代が進んでいます。
現在はコロナによって満足な活動はできていません。これからの時代に適応した活動をこれからも継続し、「老舗の団体」としてこれからも躍進していくために、出来る事を全うして、またカレーの炊き出しを行う日を夢見て活動を継続されているのです。
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