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【釜ヶ崎①】”日本のスラム街” あいりん地区を考える

※このコラムは2019年7月13日に公開されたコラムを再編集の上掲載したものです。

 

 

 

「あいりん地区」という名前を聞いたことがありますか?

 

 関西にお住まいの読者の方なら知っている方も多いのではないでしょうか。

 「日本のスラム」と揶揄され、旧地名である釜ヶ崎という名前でも有名です。

 

今回はあいりん地区の現状を記述します。

 

 

基本情報

大阪市西成区。JR/南海新今宮駅前に広がる、簡易宿泊所や寄せ場が密集するエリアの愛称が「あいりん地区」です

旧地名である「釜ヶ崎」と呼ばれることもあります。

 

 その成り立ちは、戦後の大阪市の政策により貧困者が大阪に集まり、その後このエリアに集約したことで現在の姿になったとされています。

 

あいりん地区で生活する人の多くは日雇い、週雇い労働をして生活しており、その生活は決して安定したものとは言えないのが現状です。

あいりん地区は「スラム街」なのか?

 あいりん地区は10分も歩けば、多くの若者が集まる難波や天王寺といった繁華街に出る事ができるような立地に位置しておきながら、どことなく異質な雰囲気や街の美観の劣りは、まるで海外旅行にいった時のような気分になります。

 

 諸外国のスラム街と比較すれば、治安は格段に良いし美しい街なのですが、日本国内の他のエリアと比較すると「スラム街」と言わざるを得ないでしょう。

 

 女性や子どもが一人で歩けないようなぐらい恐ろしい街ではありません。

海外のスラム街とは性格が大きく異なる

 

 

 海外でよく見られるスラム街の男女比率や年代比率は他地域とそこまで変わる事はありません。

 

 海外のスラム街は、その場所付近に労働環境が整えられてやってきた家族が、その仕事が無くなった後もその場に住み続けて形成されるケースが多いからで、典型的な例にタイ・バンコクの「クロントイ」という街が挙げられます。

 

 クロントイは、バンコクを流れるチャオプラヤ川を上ってやってくる貨物船を取り扱う港があり、現在は移設されてしまったものの、そこで働いていた労働者およびその家族が住み続けていることで形成されました。

 

 旧港の敷地内に建てられた簡易的な家の多くは不法占拠の状態であり、その対策はバンコクにおける大きな課題の一つになっているのです。

 

 つまり海外のスラム街で貧しい暮らしをしている人々は、元労働者とその家族であると言えます。

 

 

 

 対照的にあいりん地区は、日本全国の労働者が大阪の戦後復興や高度経済成長を支える建築業の人手として集まった単身の労働者が多く、妻子を持つ方が少ないとされています。

 

 つまりあいりん地区で貧しい暮らしをしている人々は、単身の労働者なのです。

 

 

 また、あいりん地区においては高齢化が進んでいます。子供が少なく、形成されたのが1970年の大阪万博後であるということですので、多くの人が還暦を超えているといわれており、あいりん地区全体の人口は減少傾向でアパートには空き部屋やシャッターが閉まったままの商店などが点在しているのです。