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【釜ヶ崎④】グローバル社会におけるあいりん地区の新たな役割とは

”西成暴動”は過去のものに。

 かつては西成暴動と呼ばれ、労働者が行政や警察にたてつき混乱を起こした事件があります。

 

 「第〇次」と数字が打たれ、24次まで存在します。

 そのなかでも第22次西成暴動は有名で、労働者からお金を不正にかすめていた(ピンハネ)暴力団と西成警察署捜査員の癒着が発覚し、労働者の不満が爆発して起こりました。5日もの長い時間労働者は石を投げつける、自転車を燃やすなど暴徒化し、阪堺電車南霞町駅への放火、その他略奪などを行いました。

 

 その時代から比べ、治安は大幅に改善されました。人々は秩序を守り、スリや殺傷行為などもほとんど発生していません。

 また海外からの目で見れば治安が悪いわけでは無いので、外国人観光客などが怖がる事なく街を歩いている姿を見ることが出来ます。

 またハローワークやNPO法人西成職業福祉センターなどのお仕事紹介をする場所は、あいりん総合センター閉鎖により南海電車高架下へと移転し、とてもきれいな空間となりました。あいりん総合センター上にあった市営住宅は近くに移転し気持ちよく暮らせるようになりました。

 

 人口も減少傾向にあり、主に流入人口の減少及び高齢化による施設入居や死亡が理由としてあり、人が溢れかえっているという事はありません。これらにより、表通りの様子は本当にここが「スラム街」と呼ばれるところであるのかわからなくなるほど変貌を遂げています。

 

 

 

 

総合センターの閉鎖。反対運動は未だ続く

 あいりん総合センターはあいりん地区の象徴であり、以前は労働者が仕事を求めて朝からやってくるような光景を見ることができましたが、老朽化により閉鎖されました。しかしそれに反対する人々がいます。そのため現在でも座り込み運動などを行い閉鎖や建て替え反対を訴えています。

 

 これに関して、釜ヶ崎支援機構は、反対運動する人々は勝手な人間だ、と考えていると言います。

 

 あいりん労働センターは建て替えのため閉鎖されました。

 閉鎖に反対される方の主張は主に、「居場所がない」というもの。

 

 あいりん地区のの人々はそれぞれがそれぞれの生き方で日々を送っていらっしゃいます。それに合わせ支援体制が整えられているので「居場所がない」という意見は本来通らないはずなのです。

 

 居場所は各団体によって支援され点在していますし、連日の労働をすれば宿を提供する企業もあります。

 となると、彼らは自身の環境の変化を嫌悪しているだけとしか言えないと考えざるを得ません。時代の変化に合わせて変貌していくあいりん地区の居心地が悪くなっているのかもしれません。

 

 

 人口減少による支援需要も減る中、今のうちに建て替えなどをしないと、本当に地震等で危ないと判断された際に「もったいない」などの理由によりセンターが取り壊しになり、さらに「居場所」が無くなる可能性もあります。

 

 

 

 

 

グローバル社会にも必要とされるあいりん地区へ。

 

 この取材をした当時、大阪市は「西成特区構想」という構想を掲げていました。これは、西成区北部に子育て世帯を流入させようとするもので、一見すればよいものです。

 ただ、これの完遂はあいりん地区の消滅を意味しているといわれています。

 確かにあいりん地区のような日本の中では治安が悪く雑としているところは消滅すべきなのかもしれません。

 

 

 釜ヶ崎支援機構は、この構想に反対の立場をとっています。

 

 世界の都市を見ても「スラム街」は各都市に存在しており、それは不景気などで行き場を失った人々の行く生きるための唯一の居場所となっています。

 

 あいりん地区は大都市の労働者が行き着く場所として必要であると考えます。

 今後外国人労働者の増加など多様な人材が街を動かす時代がやってきます。その中で社会の波からあぶれてしまった人の生きる価値を見出し、社会へ再挑戦をさせる事のできる環境は今後ともに必要です。

 

あいりん地区はただの「おじさんの街」ではありません。時代と共に変わり、対応しながら、人々の自立を促す街です。我々もあいりん地区に対する姿勢を変える時が来ている気がします。